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ローマ美術

 前6世紀末にイタリアを支配していたエトルリア人が追放されると,ローマ人は支配領域を次々と拡大し,ギリシャ文化圏全域を統治した。ローマ人は長くエトルリア人の美術に影響を受けていたが,高度なギリシャ文化に魅せられてギリシャ人の画工や彫刻家を招き,ギリシャ美術の模倣を行った。
 ローマ人が特に秀でていたのは,エトルリア人に学んだ土木技術であった。地中海沿岸の広大な支配領域に道路や石造の水道橋を整備した功績は大きい。前27年に帝政時代に入ると,神殿や広場,バシリカ(多目的の公会堂),コロセウム(円形闘技場),大浴場,劇場といった公共建築がつくられ,厳格な左右対称性,内部空間の重視といったローマ建築の性格が培われた。
 また,ローマの皇帝は自らの威信を高める目的で,戦争での勝利をたたえる凱旋門や肖像彫刻を制作させた。こうした皇帝の肖像は,キリスト教美術が発展する過程で,死に対する勝利者であるキリストの姿に置き換えられるようになった。