※みなさんが、「手品師」を読んで考えたり話し合ったりした後に、読んでみましょう。
みなさんは「手品師」を通して、自分自身に誠実に生きることを考えましたね。しかし、手品師の考え方や行動について、「せっかくの機会を生かさないでよいのか」、「男の子を連れて大劇場に行けばよいではないか」などと意見を言う人もいます。
これらのことについて、「手品師」の作者である江橋照雄さんは、手品師に向けてメッセージを書きました。
それを朗読した音声を聞いてみましょう。
みなさんは、これを聞いてどのように考えますか。
メッセージの内容です。
「手品師」に熱き思いを寄せて
突然お便り申し上げ、恐縮に存じます。
今、テレビで世界のマジックショウを放映しています。素晴らしいステージで、華やかにショウが演じられています。自慢気に見栄を切り、大喝采を受けているマジシャンたち。彼らは、今、まさに、得意の絶頂にいるのでしょう。
ところで、あなたは、現在、何をしておられますか。大舞台に立って、華やかに手品を演じているのですか。それとも、あのときと同じように、暮らし向きは楽にはなっていないのですか。
おそらく、あなたは、あのときと変わらず、安アパートの一室で、固くなったパンを、ミルクに浸しながら飢えをしのいでいるのでしょうね。
でもきっと、あなたは毎日毎日を満ち足りた気持ちで暮らしているに違いないと思います。あのとき、自分の気持ちを偽り、少年の心を傷付けてしまっていたら、たとえ有名になり、ぜいたくな暮らしができたとしても、今のような爽やかな日々を送ることはできなかったでしょう。
世間の人々の中には、あのとき、少年の心も傷付けず、また、自分もマジックショウに出演できるよい方法があったのではないかと言う人もいます。
例えば、「だれかに手紙を託し、少年に事情を理解してもらい、後で、マジックショウに招待すればいい。」とか「取りあえずマジックショウに出演して、後で、連絡をすればいい。」等、問題解決の方法があると言うのです。そう、そのとおりですよね。あなたも、もちろん、そう考えたでしょう? 友人から、マジックショウ出演の電話を受けたとき、またとないチャンスを、見ず知らずの少年との約束のために棒に振りたくないという気持ちは当然あったでしょう。あなたでなくても、だれでもそう思うでしょう。
あなたのお話を聞いた日本の子どもたちも、苦しい暮らしの中で、希望をもって練習を怠らなかったあなたに、なんとかして大舞台に立ってもらい、あなたの努力を実らせてあげたいという気持ちから、現実的な解決の方法を一生懸命に考えるのでしょう。
そうそう、腹を立てずに聞いてください。大人の中には「連絡すれば済むことなのに、詰まらないことにこだわって、こんな簡単な解決策も思い付かないなんて、手品師もどうかしているよ。」と言う人がいるんです。あなたの気持ちが理解できないのですね。
わたくしは、先ほども申し上げましたように、あなたも現実的ないろいろな解決の方法を考えたに違いないと思います。でも、そのどれを採っても、自分の都合が先立つことに、あなたは耐えられなかったのでしょう? どんなに理由を付けても、少年の立場より自分の都合が優先してしまう。どのように考えても、自分勝手になってしまう。そのように考えたあなたは、自分自身の心を偽り、少年との約束を破るという二重の不誠実な生き方をすることを拒否したのでしょう?
ですから、あなたの生き方を考えるとき、現実的な解決の方法があったにもかかわらず、それを採らなかったあなたの気持ちを感じ取ることが大切だと思うのです。でも、そこまで、あなたの気持ちに迫ることは難しいかもしれません。ですが、マジックショウ出演をきっぱりと断ったときの気持ちと、翌日 、小さな町の片隅でたった一人のお客様を前にして、見事な手品を演じていたあなたの気持ちとを考え合わせたときに、そのことは、はっきりと、分かるはずです。翌日のあなたの気持ちは、きっと、晴れやかで、爽やかであったと思います。なぜなら、自分自身に誠実に生きることができたという大きな喜びが得られたからです。そうでしょう? 「自己犠牲的な行為はよくない。」と言う人もいるようです。あれは自己犠牲だったのですか? そうではありませんよね。仮に、有名になり、金持ちになっても、心に曇りが残るようでは本当の喜びにならない。たとえ二度とチャンスが巡って来なくても、自分自身に誠実に生き、少年を喜ばせることができたことに満足していたのでしょう。決して自己犠牲ではなく、これこそが自分の生き方なのだと、あなたは心から考えているのでしょう。そうでなければ、スポットライトも浴びず、ホールを揺るがすような拍手もない、小さな町の片隅で、たった一人の客を前に、曇りのない、爽やかな気持ちで手品を演ずることなどできません。あなたの生き方を自己犠牲ととらえるのは、あなたを冒とくしています。いや、人間を冒とくしています。人間は、だれでも誠実に生きることを望んでいます。相手に対して誠実に生きることができたとき、そして、自分自身に誠実に生きたとき、その喜びは大変大きいということを、大なり小なりだれでも経験しているはずですし、そうありたいと願っているのです。そのことを、あなたは実践したのです。ところが、あなたの生き方を「大人のメルヘン」と笑う人がいます。確かに、あなたのお話はドラマチックに 描かれています。だからと言って、現実にあり得ない夢物語ではありません。実際に、あなたのような生き方をしている人がいるのですから。勝手なことばかり申し上げ失礼いたしました。
江橋照雄