15 手品師

作者の言葉

※みなさんが、「手品師」を読んで考えたり話し合ったりした後に、読んでみましょう。

 みなさんは「手品師」を通して、自分自身に誠せい実じつに生きることを考えましたね。しかし、手品師の考え方や行動について、「せっかくの機会を生かさないでよいのか」、「男の子を連れて大劇げき場じょうに行けばよいではないか」などと意見を言う人もいます。
 これらのことについて、「手品師」の作者である江え橋ばし照てる雄おさんは、手品師に向けてメッセージを書きました。
 それを朗読ろうどくした音声を聞いてみましょう。
 みなさんは、これを聞いてどのように考えますか。

メッセージの内容です。

「手品師」に熱き思いを寄せて

 突とつ然ぜんお便り申し上げ、恐きょう縮しゅくに存ぞんじます。
 今、テレビで世界のマジックショウを放ほう映えいしています。素す晴ばらしいステージで、華はなやかにショウが演じられています。自じ慢まん気げに見み栄えを切り、大だい喝かっ采さいを受けているマジシャンたち。彼かれらは、今、まさに、得意の絶ぜっ頂ちょうにいるのでしょう。
 ところで、あなたは、現在、何をしておられますか。大おお舞ぶ台たいに立って、華はなやかに手品を演じているのですか。それとも、あのときと同じように、暮くらし向きは楽にはなっていないのですか。
 おそらく、あなたは、あのときと変わらず、安アパートの一室で、固くなったパンを、ミルクに浸ひたしながら飢うえをしのいでいるのでしょうね。
 でもきっと、あなたは毎日毎日を満ち足りた気持ちで暮くらしているに違ちがいないと思います。あのとき、自分の気持ちを偽いつわり、少年の心を傷きず付けてしまっていたら、たとえ有名になり、ぜいたくな暮くらしができたとしても、今のような爽さわやかな日々ひびを送ることはできなかったでしょう。
 世間の人々の中には、あのとき、少年の心も傷きず付けず、また、自分もマジックショウに出演できるよい方法があったのではないかと言う人もいます。
 例えば、「だれかに手紙を託たくし、少年に事情を理解してもらい、後で、マジックショウに招待すればいい。」とか「取りあえずマジックショウに出演して、後で、連れん絡らくをすればいい。」等、問題解決の方法があると言うのです。そう、そのとおりですよね。あなたも、もちろん、そう考えたでしょう? 友人から、マジックショウ出演の電話を受けたとき、またとないチャンスを、見ず知らずの少年との約束のために棒ぼうに振ふりたくないという気持ちは当然あったでしょう。あなたでなくても、だれでもそう思うでしょう。
 あなたのお話を聞いた日本の子どもたちも、苦しい暮くらしの中で、希望をもって練習を怠おこたらなかったあなたに、なんとかして大おお舞ぶ台たいに立ってもらい、あなたの努力を実らせてあげたいという気持ちから、現実的な解決の方法を一いっ生しょう懸けん命めいに考えるのでしょう。
 そうそう、腹はらを立てずに聞いてください。大人おとなの中には「連れん絡らくすれば済すむことなのに、詰つまらないことにこだわって、こんな簡かん単たんな解かい決けつ策さくも思い付かないなんて、手品師もどうかしているよ。」と言う人がいるんです。あなたの気持ちが理解できないのですね。
 わたくしは、先ほども申し上げましたように、あなたも現実的ないろいろな解決の方法を考えたに違ちがいないと思います。でも、そのどれを採っても、自分の都合が先立つことに、あなたは耐たえられなかったのでしょう? どんなに理由を付けても、少年の立場より自分の都合が優ゆう先せんしてしまう。どのように考えても、自分勝手になってしまう。そのように考えたあなたは、自分自身の心を偽いつわり、少年との約束を破るという二重の不ふ誠せい実じつな生き方をすることを拒きょ否ひしたのでしょう?
 ですから、あなたの生き方を考えるとき、現実的な解決の方法があったにもかかわらず、それを採らなかったあなたの気持ちを感じ取ることが大切だと思うのです。でも、そこまで、あなたの気持ちに迫せまることは難むずかしいかもしれません。ですが、マジックショウ出演をきっぱりと断ったときの気持ちと、翌よく日じつ 、小さな町の片かた隅すみでたった一人ひとりのお客様を前にして、見事な手品を演じていたあなたの気持ちとを考え合わせたときに、そのことは、はっきりと、分かるはずです。翌よく日じつのあなたの気持ちは、きっと、晴れやかで、爽さわやかであったと思います。なぜなら、自分自身に誠せい実じつに生きることができたという大きな喜びが得られたからです。そうでしょう? 「自じ己こ犠ぎ牲せい的な行こう為いはよくない。」と言う人もいるようです。あれは自じ己こ犠ぎ牲せいだったのですか? そうではありませんよね。仮に、有名になり、金持ちになっても、心に曇くもりが残るようでは本当の喜びにならない。たとえ二度とチャンスが巡めぐって来なくても、自分自身に誠せい実じつに生き、少年を喜ばせることができたことに満足していたのでしょう。決して自じ己こ犠ぎ牲せいではなく、これこそが自分の生き方なのだと、あなたは心から考えているのでしょう。そうでなければ、スポットライトも浴びず、ホールを揺ゆるがすような拍はく手しゅもない、小さな町の片かた隅すみで、たった一人ひとりの客を前に、曇くもりのない、爽さわやかな気持ちで手品を演ずることなどできません。あなたの生き方を自じ己こ犠ぎ牲せいととらえるのは、あなたを冒ぼうとくしています。いや、人間を冒ぼうとくしています。人間は、だれでも誠せい実じつに生きることを望んでいます。相手に対して誠せい実じつに生きることができたとき、そして、自分自身に誠せい実じつに生きたとき、その喜びは大変大きいということを、大なり小なりだれでも経験しているはずですし、そうありたいと願っているのです。そのことを、あなたは実じっ践せんしたのです。ところが、あなたの生き方を「大人おとなのメルヘン」と笑う人がいます。確かに、あなたのお話はドラマチックに 描えがかれています。だからと言って、現実にあり得ない夢物語ではありません。実際に、あなたのような生き方をしている人がいるのですから。勝手なことばかり申し上げ失礼いたしました。

江え橋ばし照てる雄お