ハンセン病とは
ハンセン病は、「らい菌」に感染することで、末しょう神経がまひし、皮膚の感覚がなくなったり、汗が出なくなったりする病気です。らい菌は毒性が弱く、現在の日本では、発病することはほとんどなくなりましたが、治療法のない時代には、体の一部が変形するといった後遺症が残ることがありました。かつては「らい病」とよばれていましたが、1873年(明治6年)にノルウェーのハンセン医師が らい菌を発見したことから、現在はハンセン病とよばれています。日本では、古来から、原因不明の病気として恐れられていました。
ハンセン病患者の隔離
1907年(明治40年)、国は、「癩予防ニ関スル件」を制定し、それまで、家族に迷惑をかけないように放浪していた患者を療養所に収容しました。この時点では、療養所の入所者数は、ハンセン病患者全体の5%程度でした。しかし、1931年(昭和6年)に「癩予防法」を制定すると、全てのハンセン病患者の強制隔離を始めました。患者たちは症状の重さにかかわらず、全国の療養所に収容されました。
続く隔離政策
1947年(昭和22年)、治療薬「プロミン」の使用が日本でも開始されました。しかし、1953年(昭和28年)に「癩予防法」を作り変える形で制定された「らい予防法」では、引き続き患者の外出や労働が禁止されていました。
国の謝罪と人権回復
1996年(平成8年)、ようやく「らい予防法」が廃止されました。ハンセン病は毒性が弱く、治る病気であるにもかかわらず、法の見直しが遅れたとして、当時の厚生大臣が謝罪をしました。しかし一度根づいた偏見は簡単にはなくなりませんでした。病気から回復しても、人々の偏見に苦しんでいた回復者たちは、「らい予防法は基本的人権を侵害したもので、憲法に違反している」として、裁判を起こしました。その結果、国の責任を認める判決が下り、国は回復者たちが受けた損害を償うことになりました。2002年(平成14年)には厚生労働大臣の謝罪広告と、ハンセン病が治る病気であることを知らせる政府広報が、全国で50の主要な新聞に掲載されました。
現在の療養所
現在も全国に13か所の国立の療養所が残っています。(国立の療養所のほか、私立の療養所も1か所が残っている。)国立の療養所では、2022年(令和4年)5月時点で927人が生活していて、平均年齢は87.6歳です。ほとんどの入所者は治癒していますが、後遺症や高齢化、いまだに残る社会の偏見への不安などの理由で、退所することができない人もいます。
〈写真3点:長島愛生園歴史館〉