吉田ルイ子さんは、写真を使って報道するフォト・ジャーナリストという仕事について、次のように書いている。
「ペンを武器とするジャーナリストは、現場にいかなくとも、資料を集め、周辺取材でも、あるていどまでの記事は書ける。しかし、カメラを武器にするものにとっては、現場のみが取材できる場所だ。現場こそ、写真の命なのだ。ところが、武器であるカメラという鉱物体は、撮られることに慣れていない人びとにとっては、ピストルや銃のような本当の武器と同じくらいおそろしい物体に映るものだ、ということを、私はハーレムのふつうの人びとや、その後、世界各地の取材を通じてわかった。
(中略)カメラの存在をふつうの人びとがおそれず、心を開いてくれるようになるまでには、時間がかかる。(中略)『あんたなら写真撮ってもいいよ』といわれる、あるいは態度で示すまで、忍耐づよく待った。レンズを向けながらも、しわのひとつひとつが語りかけることばを、読み取ろうとした。ハーレムのリトル・ピクチュア・ウーマンとよばれながら、私はハーレムの人びとと、生活を、心をシェアしようと努めた。また、それが楽しくなってきた。」
〈出典:「フォト・ジャーナリストとは? ―撮れなかった一枚の写真―」吉田ルイ子 著(岩波書店)、写真提供:吉田ルイ子〉