ベトナム戦争の経緯
第二次世界大戦後の1946年、インドシナ半島を植民地支配していたフランスと、フランスからの独立を目ざすベトナム民主共和国との間で、戦争が起こった。1954年、休戦協定が成立し、フランス軍が撤退すると、ベトナムは、北緯17度線を境に南北に分断された。北では、中国、ソ連の支援を受けるベトナム民主共和国(北ベトナム)の統治が続き、南では、1955年に、アメリカの支援を受けたベトナム共和国(南ベトナム)が成立した。
1960年、ベトナム共和国(南ベトナム)内で、独裁政権打倒を目ざす南ベトナム解放民族戦線が結成されると、ベトナム民主共和国(北ベトナム)はこれを支援し、内戦状態に陥った。
アメリカは、ベトナム共和国(南ベトナム)を支援するため、1965年に、ベトナム民主共和国(北ベトナム)に大規模な空爆を行い、地上部隊を展開した。
アメリカ側は、圧倒的な軍事力を示したが、南ベトナム解放民族戦線側も、粘り強く抵抗し、戦闘は泥沼化した。民間人を含む膨大な犠牲者が出る中、世界各地で反戦の声が高まった。
1973年、パリ和平協定が結ばれると、アメリカ軍はベトナムから撤退。後ろ盾を失ったベトナム共和国(南ベトナム)は、1975年に降伏し、翌年、ベトナム社会主義共和国として、南北ベトナムの統一が果たされた。
ベトナム戦争とジャーナリスト
ベトナム戦争が激しさを増す中で、たくさんのフォト・ジャーナリストがベトナムを訪れ、その悲惨な状況を報じた。彼らの働きによって、戦争の現実が人々に伝えられ、反戦世論が高まった。
日本からも、ベトナムに向かう人たちがいた。中でも、沢田教一さんは、果敢に激戦地に入り、取材を重ねた。沢田さんの代表的な写真は、1965年に撮られた「安全への逃避」と題される写真で、1966年に、ピューリッツァー賞を受賞した。
〈写真:Bettman/ゲッティイメージズ〉